団塊世代千夜一夜物語

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zoom RSS <第830話>お乞食さん

<<   作成日時 : 2010/11/28 08:39   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 20

ガキ大将達の秘密基地は 防空壕だった。
戦争ごっこ チャバラごっこ
缶蹴り遊びに 鬼ごっこ
野山を駆け回り 小川で遊んだそのあとは
トランプにカルタ・・ にぎやかな防空壕だった。

ある日、その防空壕に 先客があった。
ボロボロ服に ヒゲのおじさんだった。
何処から来たの・・? 家はどこ・・?
家に帰って 母に言ったら
「あぁ、お乞食さんね・・!」

翌日、
そのおじさんが 周りの家々を廻っていた。
我が家にも やって来た。
おじさんが 肩から提げていた布袋に
母は一握りの 米を入れた。
「ごめんね・・少しで・・。」
おじさんは 何度も頭を下げた。

近所の子達と 防空壕へ行った。
おじさんは 戦争の話をしてくれた。
・・だから、戦争はいかん!
・・戦争はダメだよ!
ガキ大将達は 夢中になって話を聞いた。

もっと、戦争の話を聞きたかった。
みかんとお菓子を持って
友達と防空壕へ行った。
おじさんは 何処へ 行ったのだろうか?
二度と姿を 見ることはなかった。

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コメント(20件)

内 容 ニックネーム/日時
子供のころ、我が家にもよく、回ってきました。 母がお米か何か渡しているのを家の影から見ていました。子供心にもかわいそうと、ちょっとおっかないという気持ちがあったのでしょう。あの頃はみんな貧しく大変だったけど、母もまだ元気で楽しかったな。
What's up?
2010/11/28 09:25
おこじきさん いいなー 日本語って!
seizi05
2010/11/28 11:43
どこへ行ったのだろう。。。
私は、見た事がないけど、貧しい人たちが住む地域があった。
そこに毎年、年末に米・味噌・その他を父親が届けていたのでその長らしき人がお礼に来る。
父親は、家に上げて食事と酒。
勿論、年末の寒い時。
家の中は、ものすごい匂い。
そして、帰った後は体から剥がれ落ちた垢なのか何かが塊で落ちている。。。
帰った後は、窓全開でお掃除です。。。
もうヘトヘト
2010/11/28 17:31
What's up?さん♪
それほど生活も裕福ではなかったはずなのに、今とは違う
助け合いの精神があったのでしょうね。何か足らない物が
あると母も隣へ借りに行ってました。
はぎさん
2010/11/28 18:34
seizi05さん♪
はい、ハッキリと頭の中に残っています。
はぎさん
2010/11/28 18:36
もうヘトヘトさん♪
共に戦争をくぐって来た者同士、お父さんも見ぬふりが
出来なかったのではないでしょうか? うちの父にも
そんなところがあり、母が困っていました。
はぎさん
2010/11/28 18:42
同じような経験が・・
昭和37年、故郷お後に上野駅に着いた。
オヤジに、浅草と、上野公園に連れて行かれた。
そこは、傷痍軍人さんが階段の所にいた。
子供心に、その姿をまともに見られなかった。
その父も、兵隊に行ったその姿をどう感じたのか。
山羊座
2010/11/28 23:35
おを付ける人の優しさが昔の人にはあったのね(^^)
防空壕もおこじきさんにも会った記憶はないけれど
多分居たんだろうな〜子供頃には・・・・・
愛知で次郎柿買ったら旅の途中で柔らかくなって食べるのに大変でした(^0^)
さらばぁば♪
2010/11/29 13:16
山羊座さん♪
傷痍軍人さん、私の親父は同情しながら嫌いました。
たぶん、親父も兵隊で大陸への経験があり戦争に負けた
とは言え、その行為が気に食わなかったのでしょう。
いつの間にか居なくなりましたね。
はぎさん
2010/11/29 17:21
さらばぁば♪さん
後から聞いた話では母の実家の方ではそのように言って
いたそうです。物乞いが来る家は栄えるとの言い伝えが
あったそうですよ。今、食べきれないほどの柿が家の中
にあります。たぶん、少し捨てることになるでしょう。
はぎさん
2010/11/29 17:27
私自身の田舎の子供時代をタイムスリップしたかのように楽しく読みました。少年達が再び防空壕へ話を聞きに行くシーンは子供スリル映画の一面のようですね。ハリーポッターとか。でもこの記事は現実で戦争の傷が大きく口を開けている。
田舎の実家では、子供の時から米びつからお米をあげるのを見て育ったから、今でも裕福ではないのに、困った人に差し上げる事に抵抗ない幸せ者と思います。「人をみたら泥棒と思え」の英知がない(笑)、友人知人には注意されても。
後でわかった「前科13犯、千葉大生を偽る押し売り注意」は、朝にでて、夕方遅く帰ってきて、3泊してから父に「娘の多い家だし..」と言われて「私達には、商売品をくれ、父母にお礼を言って翌夕からきませんでした。どんな事情があったのか・・点々と遠くに明かりが見える土地の農家を自転車で回ってゴムひもなど物売りして生きていく・・。人が人を疑わない時代、玄関の鍵などあったのかな..?
1月にまたお邪魔いたします。良いお年をお迎えください。
ミンガ
2010/11/29 17:50
ミンガさん♪
コメントありがとうございます。
昭和30年代は何処でもそうであったと思いますが、親達は
「生きる」為に必死だったと思います。子供達に干渉するこ
ともなく、他人にとやかく言うこともなく、その日を生き続
けることに必死だったと思いますね。いつの時代も子供は子
供です。そんなことは知らずに、自分の置かれた環境の下に
遊びを見つけて育つのだなと思います。ミンガさんも似たよ
うなことをご経験されたようですね。昔話ですが、また時々
書かせて頂きます。良い年をお迎えください。
はぎさん
2010/11/29 18:39
片足が 無くて・・・目の前に「茶碗」おいて・・・座っている人が・・・いたのを 憶えてます・・・・(戦争で・・・無くしたのか・・・は・・・?ですが・・・)
よんちゃま!
2010/11/29 20:54
ありましたね、そういうこと。物乞いに来たぼろぼろ服のおじさん、ちょっと恐怖心を抱きましたが。帰ってから、何を食べて、どんな暮らしをしているのかなあ?と思いました。
arara
2010/11/30 01:22
よんちゃま!さん♪
はい、子供が一緒の組もありました。
はぎさん
2010/11/30 18:35
araraさん♪
私が育ったのは山の中、今思うのは都会よりも田舎のほうが食料的に
恵まれていたのかも知れませんね。あの人達にとっては・・・。
はぎさん
2010/11/30 18:40
昔は傷痍軍人を語る人が沢山いました。
父が傷痍軍人です。銃弾を受けて…
結局マッカーサー司令部で床屋をやったそうです。
米軍基地に散髪屋を開けたのは馬鹿親父です。
30年〜40年前には何処にもいました。
50年前には家の前を米軍戦車が列をなして行軍しました。
所謂進駐軍にギブミーチョコレート
ギブミーチューインガムの時代でした。
想い起せば最早50数年前の事です…
案山子
2010/12/04 06:35
こどものころ、お花見や縁日の会場に、義足や義手で軍服姿のいわゆる傷痍軍人さん(漢字が違うかも)を見かけました。アコーディオンをひきながらものごいをしていましたが、やはりいつの間にか姿を消してしまいました。
moumou.h53
2010/12/07 20:45
案山子さん♪
嘘、ホントの話は別にして傷痍軍人風(?)の姿は子供の頃に街で
見かけましたね。いつの間にやら見かけなくなりこの国も高度
成長時代とやらへ進みました。
はぎさん
2010/12/07 20:57
moumou.h53さん♪
なんで、アコーディオンだったのか解りませんが、街に出ると
よく見かけました。育った田舎の方へは食料を求めてでしょうか
似たようなお方を見かけました。
はぎさん
2010/12/07 21:04

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