団塊世代千夜一夜物語

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zoom RSS <第927話>着の身着のまま (終戦の日に)

<<   作成日時 : 2011/08/14 18:34   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 11 / トラックバック 0 / コメント 14

東日本大震災で どうしても 思い出してしまうことがある。
それは今は亡き 両親から聞いた 数々の戦中、戦後の話である。
戦後すぐに生まれた世代の 多くがそうであったように 戦争の話を聞きながら育った。
以前、このブログにも 書いたことがあるが 我が家は 旧満州からの引揚だった。
親父は 旧日本帝国陸軍兵で 幼い兄や姉を 連れての引揚げだった。
まさに「着の身着のまま」で、その日その日の 命をつなぐことだけで 精一杯だった。

「あの時は 人生で一番に嬉しかったなぁー!」とは 繰り返し言っていた 親父の話。
引揚げ船の中で 見知らぬ奥さんが こっそり兄に渡してくれた おにぎり1個。
もう何日も 食べ物を口にしていない。 1個のおにぎりを兄姉で 分け合って食べたそうだ。
「ありがとうございます!」 と何度も頭を下げる母に その奥さんは言ったそうだ。
「もうすぐ、内地ですわねー。 良かったわぁー!」

戦争が終わり、何もかも失ったが、一家4人は無事だった。 明日への希望があった。
佐世保に着いた家族は 大阪を経由して 名古屋へ来た。
親父は鹿児島の出身だったが、親戚に迷惑だからと 郷里には帰らなかった。
暫らくは名古屋で 日雇いのような仕事を やっていたそうだ。
もう少し金になる仕事を と言うことで 挙母(現豊田市)へ 仕事を探しにやって来た。
亜炭を掘る仕事があり、バラックの社宅も 用意されていた。
暫らく一家4人は そこで暮らすことになった。

そんな頃に オイラが生まれた。 戦後の食糧難の頃である。 
栄養失調で 母の視力は衰えて 母乳の出も悪かったそうだ。
生後4ヵ月ぐらいの頃、遊びに来ていた従姉妹が ミルク代わりに近所からもらった
「きな粉」を水に溶かして オイラに食べさせた。 (飲ませた)
喜んで いくらでも食べたので、量を忘れてしまったそうだ。
が、次の日から 様子がおかしくなり、父は急いで 挙母(現豊田市)の
ある開業医へ走った。

あッ・・!
おぉ・・!

父と医師は驚いた。
父の目の前には 満州○○陸軍病院で一緒だった 上官(軍医)がいた。
お互いの無事、再会を喜びながら オイラの症状を探った。
手術しなければ助からない・・けど、こんな小さな児の 手術はしたくない・・!
自分も手伝います! お願いします! やってください! 後悔するなら、やって後悔を・・。

腸の中には 「きな粉」が いっぱい詰まっていたそうだ。 小さな医院で、まともな設備もなく
まな板のような 手術台を用意して、S医師は奮闘してくれたそうだ。
父も最初から最後まで 必死に涙をこらえて 手術に立ち会ったそうだ。
今もオイラの腹には 20cmぐらいの 手術跡がある。

そんな、亜炭鉱なんかやめて 病院で働いたらどうだ? わしが紹介するから。
S医師は父へ 医療への仕事を 勧めてくれた。 が、父は丁寧ににお断りした。
戦争で、医学への道を閉ざされて、さらに戦場では 医薬品の無い中を 負傷兵達を
見殺しにしなければならなかった記憶が そうさせたのかも知れない。
S医師の配慮もあり、ある会社の 安全衛生責任者として 赴任することになった。
S医師はすでに亡くなり、今は2代目と3代目が 大きくなった病院を 継いでいらっしゃる。
車で、豊田市内の その病院の前を走る時、自然に腹を押さえる。

「国の言っていることを まともに聞いていたら 殺される・・!」

これが、元気な頃の父の口癖だった。
命に従って満州へ行き、敗戦の後 逃げるようにして 引き揚げて来た。
すべてゼロから 再出発しなければならない 父の叫び声だった。

米を・・野菜を・・わけてくれませんか〜!?

一軒々 農家を回る 着の身着のままの姿は
まるで、乞食だったと 父は語っていた。
いつまでも 戦争がない
平和な暮らしで ありますように・・。

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コメント(14件)

内 容 ニックネーム/日時
胸が詰まる話ですね。お父さんの責任感。 私の父は一人っ子で、兵隊にでましたが内地だったので、何事も無かったように、何も話しませんでした。でも、戦争が大嫌いだったことは間違いなく、よそのおじさんが兵隊の時の自慢話をすると機嫌が悪くなりましたね。 あんなの嘘だとも言っていました。
What's up?
2011/08/14 20:35
今「不景気」だの「就職難」だの・・・・言ってますけど・・・その当時から考えると・・・・「幸せ」ですよね・・・・。
「きな粉の食べすぎ」・・・・詰まってしまうんだ・・・・でも・・・・それほど・・・食べるものが無いから・・・食べてしまったのですね・・・・。
よんちゃま!
2011/08/15 07:56
>腸の中には 「きな粉」が いっぱい詰まっていたそうだ
今だから笑えるけど。。。
私の母方の祖父も、食べ物がないので馬を1頭買って、皆で馬肉を食べ続けたら子供がたんぱく質過剰症のような病気になったと話していた。
小学校の担任の先生がやはり引き上げできた人だった。
>「国の言っていることを まともに聞いていたら 殺される・・!」
本当ですよね。
国もマスコミも天皇も戦争責任を取らない。
マスコミに煽られないようにしなければ
もうヘトヘト
2011/08/15 08:59
what's up?さん♪
地元の戦中戦後の記録誌編集を手伝ったことがありますが、真にその
体験をされたお方達はなかなか話してくれませんでしたね。人は余り
のショックを受けると無口になることを知りました。
はぎさん
2011/08/15 19:33
よんちゃま!さん♪
いえ、食べると言うよりも生後間もない頃のことですからミルク
代わりに飲んだのだと思います。もちろん、私は覚えておりません。
はぎさん
2011/08/15 19:36
もうヘトヘトさん♪
物事を真正面から見ることが出来ないのは子供の頃の親父の影響
かも知れませんね(笑)。いつの時代も一方的なものには警戒を
忘れたくないものです。マスコミも演出は人ですから。
はぎさん
2011/08/15 19:41
はぎさん〜、このブログは以前のお父さんの終戦の後のブログより、もっとわかりやすかったですよ。何回聴いてもためになるお話です。故郷や戦友先輩の提案にも甘んじることなく、自ら新天地を切り開き、家族や地域のため働いてきたお父さんに、明治?の男の律儀を感じます。そしてこうしたブログから、僕らの親爺の世代がしてきた敗戦、国家の崩壊と飢えとの闘い。。それを大人として味わったことのない自分の「甘さ」をも教えてくれます。ですから自分のためにも何回も聴きたい話です。そこまでしたのか。。と胸が詰まる想いでもありますが、全て事実なんですね。
さとし君
2011/08/16 13:17
さとし君さん♪
厳しい残暑の中、コメントをありがとうございます! 断片的に父から
聞いた戦後の話の一部を終戦の日に書かせて頂きました。両親からも
親戚の者からも学校の先生からも戦争中の話はよく聞いたものです。
が、一般的に「団塊の世代」はそれらの話を子供達に伝えるのが苦手
だったそうで、私にも自信がありません。どんなことがあっても戦争
だけはイカンよと伝えるのが精一杯のような気がします。特に今年は
原発事故もあり、その恐ろしさをあらためて感じました。
はぎさん
2011/08/16 17:53
............
seizi05
2011/08/16 20:08
はぎさん
こんにちは
この文章を読んでいると小さい頃のことを思い出します。
貧乏な時代、親に、買ってほしいと言えない時代
みんな働くことに忙しい時代でしたね
なぜか、ダブります。
山羊座
2011/08/17 13:16
山羊座さん♪
ラジオの前に家族揃って座り「1丁目1番地」のドラマを
聴きました。やがて、隣の家がテレビを・・ではうちも・・の
時代になりました。物が豊かになった分、何かが失われたよう
な気がします。
はぎさん
2011/08/17 17:13
seizi05さん♪
先輩「・・・」だけだとスパム制限に引っかかるようです。
はぎさん
2011/08/19 18:51
語りつげたいお話です。過酷な時間をすごした人は語らないと言うのは想像ですが、理解できますね、どこから話すべきか、所詮他人には判らない、本人も思い出したくない、できることなら記憶から消してしまいたい出来事じゃないかと。
70歳過ぎた人の簡単な言葉に引揚者の戦後の飢えを知ります。あるドイツ女性は、14人兄弟で、引き上げてきた生活の中で親に「食え。死ぬぞ」とだけ言われて育ったの。私の好きなお話です。生き抜くことに説明も入らない。理屈もない。生きたいか、死にたいか・・、  お話が少し外れましたね。
ミンガ
2011/09/01 02:20
ミンガさん♪
食え。死ぬぞ・・ですかー、意味の深い言葉ですね。市の戦中
戦後史を編集する為にボランティアで参加したことがあります。
戦争体験者にインタビューをして廻ったことがあります。
仰るとおり、あまりに酷い体験をされたお方は詳しく話してく
れませんでした。何かを心にためての発言が多かったように思
います。戦争はやってはいけません!
はぎさん
2011/09/01 06:31

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