団塊世代千夜一夜物語

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zoom RSS <第1077話>あの頃の授業風景

<<   作成日時 : 2013/08/13 17:09   >>

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中学1年の頃、社会科のS先生は男で
戦争の話が好きだった。
何の前ぶれもなく授業中に突然、
戦争の話になった。
面白おかしく、またある時は悲しく・・・

それ、始まったぞー! 生徒の目は輝き、
心で誰もが始まりの拍手をした。

先生の持つ黒板消しが、いつの間にかB29と化し
赤白のチョークが爆弾となった。
凄い先生の演技力に観ている生徒にも力が入った。
さらにムードを出すために
チョークの粉が煙の代わりになった。

竹槍と原子爆弾の違い、
防空壕と防空ずきんの話が次から次と出てきた。
教室はシーンと静まり返りS先生の話を夢中で聞いた。
・・よって、戦争は絶対にやってはいかん! 
いつも続きは次の時に、諸君元気で!で話は終わった。
「あとをたのむ・・!」と頼まれた生徒が
教壇の周りを急いで掃除した。

アメリカが落とした原爆の話の次は英語の授業だった。
This is a pen! My name is・・
団塊の世代は忙しかった。

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上の記事は2007.09.09(日)にこのブログにアップした
ものです。終戦記念日にあたり再度アップしました。
何かを感じて頂ければ幸いです。

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コメント(18件)

内 容 ニックネーム/日時
確かに、確かに、ぼくなんか九州でしたから先生方に陸士、海兵からシベリア抑留経験者まで戦争の話には事欠かない布陣でした。K先生の「戦争って、普通の暮らしをしているすぐ隣から始まるんだ」という言葉が忘れられません。
ごろー
2013/08/13 20:20
私の小学校の担任は、満州からの引揚者。
かなり苦労をしたらしい。
原爆の話は、かなり聞かされた。
原爆許すまじの歌
いろいろ、話を聞けたけど、今の子供達は。。。
もうヘトヘト
2013/08/13 23:25
戦争体験者の話に子供たちは目を輝かせて聞き入ったことでしょう。子供たちの人生にとっては、1足す1は2の勉強よりもそういう貴重なお話しを聞くことのほうがどれほど大切でしょうか?
arara
2013/08/13 23:55
朝の教室での朝礼で、平和の大切さを言う先生が多い気がしました。
民主主義とは?の話も聞きました。食料難という言葉も憶えたのです。
中野学校出であることを恥ずかしいような顔で語る先生も。。
でも自分は子に平和の大切さは言わないままでしたね。
さとし君
2013/08/14 03:25
ごろーさん♪
でしょ!?学校の中にはひとりやふたりは戦争を熱く語ってくれる
先生がいらっしゃいました。生徒もそれを真剣に聞き入ったもの
でした。今の学校はどこまで教えてくれているのか疑問です。
はぎさん
2013/08/14 07:45
もうヘトヘトさん♪
でしょ!?みんな真剣に先生の話を聞いたと思います。特に戦地
での経験者の話は迫力がありました。今は誰が教えているのかな?
はぎさん
2013/08/14 07:49
araraさん♪
教科を忘れて先生は戦争の話、平和の有り難さを教えてください
ました。生徒のみんなも黙って静かに聞き入りました。
はぎさん
2013/08/14 07:53
さとし君さん♪
近頃になって恩師から聞いた話では職員の間でも戦前派と戦中・
戦後派と意見が合わず大変だったそうです。でも平和に対する
考えは同じで教壇に立ったとのことです。生徒も真剣に聞きま
した。残念なのは自分の子供達に伝えきれていないことですね。
はぎさん
2013/08/14 08:01
私の場合、戦争の話は兵隊に行った隣の家のおじさんでしたね。死んだ敵兵から持ち物を取る、いつ敵兵と出くわすかわからない夜の巡回、おっかなくて顔を出さずに鉄砲を撃った話。最初は自慢げに話していたおじさんがなくなった戦友の話になると涙が眼にいっぱいになっていたことを思い出します。
What's up?
2013/08/14 09:48
What's up?さん♪
周りには戦争体験者が沢山いらっしゃいました。お身内が戦死
されたお宅も珍しくありませんでした。学友の家に行くと遺影
がありそれが誰なのか訊いたものです。
はぎさん
2013/08/14 16:52
終戦後は戦地帰りの先生が多かったですね。恐らく、若い先生たちは戦争に借り出されて戦場の露と化してしまった人が多く、人材が不足だったでしょうし、復員した元兵士も、他に職が無い・・・ということだったのでしょうね。一時、「デモしか先生」と言う言葉が流行りました。意味はご想像下さい。
私なんかいたずらっ子でしたから、よく先生に「お前のような奴がいたから日本は戦争に負けたんだ!!」といって叱られましたね。小学校3〜4年生の頃だったと思います。
あきさん
2013/08/15 12:50
あきさんへ♪
本来は現役の教師達は戦場へは行かなかったのが、戦況悪化に
伴い召集された人もあったと聞いています。もし、戦場へ行か
なかったとしても間接体験で話してくれたのだろうと思います。
はぎさん
2013/08/15 15:46
戦後の混乱期、教育現場も混乱していた。
 昨日まで鬼畜米英を声高に叫んでいた先生が急に民主主義を唱え、天皇より偉いのがマッカーサー、GHQ:マッカーサーの言うことは絶対であった。
 そういえば大陸での蛮行を自慢する先生もいたような記憶がある。
jisei
2013/08/15 16:40
jiseiさん♪
はい、そうです。そんな教師も校内にいらっしゃいました。
今思うとゾッとするようなことを子供達に平チャラで語って
いた教師もいました。かなり混乱していたと思います。
はぎさん
2013/08/15 17:54
父(88歳)は、戦争の事実は話しても、なかなか自分の心のうちを言うことはありませんでした。
が、昨日は、終戦記念日のテレビ番組を観ながら、自分のことを話していました。
東京から九州へと向かう途中の名古屋辺りで、ちょうどお昼だったそうです。畑の中を少年が何かを言いながら走っているのを車窓から見て、ひょっとして負けたのかと直感したそうです。玉音放送は聞いていないそうですが、その2時間後くらいに敗戦を知り、複雑な心境だったようです。残念だという気持ちと、本音は ほっとしたというところだと言っていました。自分は、いずれ近いうちに死ぬと覚悟していたらしいですから。

平和という言葉は、父から聞いたことがないかもしれないです。
yu_mama
2013/08/16 09:49
yu mamaさん♪
数年前に戦後史の編纂に参加したことがあります。録音機などを
持って体験者宅へ伺ったのですがすぐには話してくれませんでした。
当時のお父様は若く多感なお年頃で思いは胸の中に入れられたのか
も知れませんね。
はぎさん
2013/08/16 10:29
上陸してくる アメリカ兵を竹やりで 刺すんだと まじめに 母が 町内会で練習してました 涙!
seizi05
2013/08/18 16:01
seizi05さん♪
一糸乱れぬ国防婦人会の訓練が明日の日本をつくりました。
はぎさん
2013/08/18 17:23

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